誰がZoticusとデートしましたか?

Zoticus

Aurelius Zoticus (Greek: Αύρήλιος Ζωτικός; active c. 219 – 221) was a cubicularius and famous male lover of the young Roman emperor Elagabalus.

His story is known in two versions, one told by Cassius Dio and one contained in the later Historia Augusta.

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Elagabalus

Elagabalus

マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス(ラテン語: Marcus Aurelius Antoninus Augustus、204年- 222年)は、ローマ帝国第23代皇帝で、セウェルス朝の第3代当主。ヘリオガバルスHeliogabalus )、またはエラガバルスElagabalus )という渾名・通称で呼ばれることが多く、これはオリエントにおけるヘーリオス信仰より派生した太陽神のエーラーガバール(「山の神」の意)を信仰したことに由来する。歴史上稀にみる美貌と、異常な程の求愛と性欲、過激な逸話で有名なローマ皇帝である。また、確認されている中で最古の著名なトランスジェンダーの人物とされる見方もある。彼は美しい容姿をしており、14歳で皇帝に即位して、皇帝でありながら女装をして夫を作り、自らの夫を皇帝にしようとするなど、当時としてはあり得ない行動で世間を騒がせた。また、下級市民である風俗嬢を姉と慕って風俗街で性奉仕したり、不思議な予言書の様なものを残すなど、数々の逸話から現代に於いても多くの創作品の題材とされる人物である。現代において、イギリスにあるノース・ハートフォードシア博物館は、皇帝の展示の表示を"彼(He)"ではなく"彼女(She)"あるいは"彼女の(Her)"に変更し、皇帝を女性として認めるなど、世界的にヘリオガバルスの名誉を回復する動きが進んでいる。

セウェルス朝の初代皇帝セプティミウス・セウェルスの外戚にあたるバッシアヌス家出身のシリア人で、元の本名はウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌス(Varius Avitus Bassianus)といった。セウェルスの長男であったカラカラ帝が暴政の末に暗殺されるとバッシアヌス家もまたローマより追放されたが、彼の母ユリア・ソエミアスは密かにセウェルス朝復権の謀議を画策した。血統上、カラカラ帝の従姉にあたるソエミアスは自身が夫との間にもうけた子アウィトゥス(ヘリオガバルス)が先帝カラカラの隠し子であると主張して反乱を起こした。戦いは既に帝位にあったマクリヌス側の敗北に終わり、セウェルス朝復権を名目としてわずか14歳のヘリオガバルスが皇帝に即位した。

彼の統治は他の如何なるローマ皇帝達をも越える、ローマ史上、そして世界史にも稀に見る最も特異で破天荒で奇抜な君主であったと言える。ヘリオガバルスは求愛と色欲に明け暮れ、更に異端な行動で多くの大衆を驚かせた。宗教面では従来の慣習や制度を廃し、エーラーガバールを主神とするなど、極めて斬新な政策を行った。当時の概念で、国教に値する様なものを突然変えてしまうなど異例中の異例だった。経済政策では合理的なスタンスを取り、当時としては非常に珍しく、貧富に関わりなく無償で料理を振る舞い、貧困層の市民や女性に装飾品や生活用品を分け与え、水不足に苦しむ農村に川をひくなどして貧困層を救済した。男性社会であるローマで女性を登用するなど、僅か10代にして数々の画期的な政策や弱者救済措置を推し進めるなど、進歩主義的な善行で一定数の女性や貧困層の市民から尊敬されていた事が近年では着目されており、母や祖母の影響、異様な若さ、性別に違和感を抱えていたことから同情的な見方をされることも多く、彼を主人公にした作品の舞台が上映されるなど、好意的な評価を受ける事も多い。

ヘリオガバルスの異色の性生活についての話題は、彼の政敵によって誇張された部分があるとみられているが、それ故に彼に関する情報も文献によって大きな差異があり、中には明らかに誇張されていると見られる伝記もある。彼に対する誤った逸話が拡散され、現代に至っても恥辱を受けている事から「凍てついた永遠の恥辱を受ける者」と、語られる事がしばしばある。中世のキリスト教保守派の歴史家からもあまり良くない評価を受けている。とりわけヘリオガバルスは近世の歴史家に忌み嫌われたが、先ず性的少数者が処罰の対象となっていた当時の保守的な世相から考えれば当然であった。『ローマ帝国衰亡史』で知られる18世紀の歴史家エドワード・ギボンにいたっては「醜い欲望と感情に身を委ねた」として「最悪の暴君」とかなり酷い評価を下している。19世紀前半のドイツの歴史家バルトホルト・ゲオルク・ニーブールもまた、主著『ローマ史』のなかでヘリオガバルス帝は異常であったと論評している。

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